落日の系譜――
コミュニケーション・リテラシー|国家

鎖国時代が終わり、やがて通商条約が結ばれる。日本にとっての本格的な外交のはじまりは、開かれた世界への前途洋々たる期待とはかけはなれたものとなった。二百年以上続いた鎖国状態では無論、他国、他民族とのコミュニケーション・リテラシーは涵養されることなく、「鎖国時代的コミュニケーション感覚」でぶっつけ本番、真っ向から立ち会うことになる。結果、完全に欧米列強の手中に落ちた。

幕府は、アヘン戦争後の中国と同じような運命になることを極度に恐れていた。そのためどんなことがあっても条約には、後で罠だと分かるようないかなる付帯条項をつけることも阻止したいと考えた。条約の文言の選定に未経験なせいで、ヨーロッパから日本にアヘンを輸入する門戸を開いてしまうようなことは、なんとしても阻止したかった。幕府は、この一点については粘り強かった。そして条約文が、この日本の存亡に関わる問題に関して、他の解釈が入る余地がないことを確認できたので、幕府ははじめて調印に踏み切ったのだった。
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松原久子(著)、田中敏(訳)『驕れる白人と闘うための日本近代史』文春文庫、2008年。

しかし実際には、日本側に見落としがあった。そのひとつは通貨交換の権利に関するものである。この見落としが、後に「ゴールドラッシュ」といわれる大惨事を招くことになる。

(前略)極めて重大なのは、当時の国際的な金と銀の交換比率が、日本国内の交換比率とは異なっていたことである。抜け目のない商人だったアメリカ総領事のハリスが、このことを見落とすはずはなかった。日本では金と銀の交換比率が一対五だったが、世界的には一対十五であった。つまり、同じ量の銀貨で、日本では通常の三倍の金貨が得られることになった。
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松原久子(著)、田中敏(訳)『驕れる白人と闘うための日本近代史』文春文庫、2008年。

まんまと罠にかかったのだ。この情報は瞬く間に世界へ伝わることとなる。白人たちは袋いっぱいの銀貨を持ってやってきて両替所へと走り、五対一の交換比率で日本の金貨に換えた。その金貨を持って上海へ行き、一対十五の交換比率で銀貨に換え、再び日本へ戻るのだ。

惨憺たる金の海外流出。これが160年前の過去の出来事として終わるのならまだいい。しかし現実には、事の本質は、160年経った今も解決していないのではないか。このパターン(類型)、このストーリーこそが、未だ近代を脱しえずといわざるをえない理由のひとつである。もしかすると、当時ハリスは、日本側のアヘン戦争への恐れをデコイ(おとり、decoy)として使うことも計算の内だったのではないか。恐れからその一点に集中させ、条約文の解釈に躍起になるよう誘導されたのかもしれない。それは心理戦である。

(前略)十年、二十年、五十年、百年、二百年あるいは三百年かかろうと、時間は白人にとって問題ではなかった。最初のヨーロッパの商人がインドの地を踏んでからちょうど三百年たって、白人は全インドを完全に手中に収めたのであった。
鋼のように強靭なサムライの精神力といえども、ヨーロッパ人の歴史的に培われたこの力、母国から何千マイルも離れ、三百年という年月をかけて、大文明圏インドの征服を徹底して完遂するという力の前では全く無力である。最初、インドはほとんどあらゆる点で、文化的にも軍事的にも、ヨーロッパより勝っていた。しかしそんなことは最後には何の役にも立たなかった。
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松原久子(著)、田中敏(訳)『驕れる白人と闘うための日本近代史』文春文庫、2008年。
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「お人好しとはバカの別称である」ということに加え、「世界標準」である「文言の、無限にある解釈の選択権は力(force)がもつ」という事実を真正面から認めることを、現在の多くの日本人は避けたがる。それはまごうことなき剥き出しの角と角のせめぎ合いだからだろう。「鎖国時代的コミュニケーション感覚」が足を引っ張るのだ。そして力(force)へのアレルギーは昭和の太平洋戦争敗戦によって決定的になり、力(force)への洞察すら失われてしまった。

力(force)とは火力のことのみならず、ホリスティックな戦略力である。軍事力は数多ある戦略カードの一枚にすぎない。日本は世界標準に伍する国家として欠くことのできないこの洞察を放擲してしまった。お花畑に種を撒きはじめたのである。この近代的世界の現実と、鎖国時代からの精神的基盤と敗戦ショックの葛藤が、歪が、不協和があるかぎり、私は未だ近代を脱しえずといわざるをえない。

おそらく、当時の幕府がどれほど血眼になって条約の文言をチェックし、鎧の継ぎ目を塞いだところで、意味はなかったことだろう。文言の解釈を飴のように自在に変形させ、無限の解釈からどの解釈を採択するのかは「力(force)」によって決まるからだ。「力」なき外交の「話し合い」など言葉遊びにすぎないし、「相互の合意」など銃を突きつけられて首を縦に振ることなのだということを、幕府は、庶民は学んだことだろう。

日本は変わらざるをえなかった。鎖国時代の豊かな価値ある精神や伝統といったをすべて溶かし、銃や大砲の原料とせざるをえなかった。それは同書でも書かれているように、悲しい教訓であったと思う。その悲しい教訓を背負い、悲しみから拳を突き上げたのが明治という時代のトーンであったろうと考える。「力」を欲した日本は、体質に合わない劇薬による欧米のミメーシスを徹底的に行い、欧米擬態を遂げた。そして太平洋戦争という剥き出しの角と角のせめぎ合いにおいて敗北した時、力と引き換えにした鎖国時代の「原型」も、「力」も失い、「空虚なる日本」がはじまることとなる。鎖国時代の成熟した文明・文化観も、明治時代の力への意思も忘却し、残ったのは記憶を喪失したまま神経症的に振る舞う鎖国時代の精神的基盤の残骸と、惰性としての欧米のミメーシス。それは近代を脱したことにはならない。近代的現実を夢遊病的に彷徨っているだけではないだろうか。

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